哀喪「3.11」災後物語り…ここから。/上巻

 

倉石智證(著)

2017年4月23日 発売
ISBNコード 978-4909570130
A5判並製・454ページ

価格:3,063円

 

【Amazonで購入】

たとへば八月は鎮魂の、ヒロシマ・ナガサキからフクシマばかりか東日本大震災へと。人の声ばかりか森の樹々も石もみなその場所に静まり返り、汗は顎門に、指は自然に胸の前に組まれゆき、わたしたちは空を見上げ、それから深い悔悟とともに己が影を映す地面を見入るのです。災厄は今に続き、放射線は億光年を駆け巡り、フクシマの地には今に、音無きものが降り続いています。

我らが深く観照し、検証しなければならないものとは───。
ガンジーは西欧由来の植民地主義のシッポを捉まえ、「この文明は不道徳である」と云いました。足尾鉱毒事件で田中正造は、「真の文明ハ 山を荒さず 川を荒さず 村を破らず 人を殺さゞるべし」と遺言のやうな言葉を残してます。

Bone(骨)、握斧(あくふ)、それからヒトは火を手にし、文明へと彷徨い出て行ったようです。夜は暗く寒く、自然は時に悪意に満ちたものになり、心細さにヒトたちは集まって寄り添って暮らすようになった。長い時空が過ぎて、分け与えたり、交換し合っていたころはよかったのに、ヒトたちはいつから戦い合い、殺し合うようになったんでしょうね。天の怒り、地の災いとは異なる、ヒトの災厄が地に広がってゆきます。

人類の宿痾(しゅくあ)としての文明です。プロメテウスは火を盗み、ゼウスの怒りを買った。プロメテウス的原理。特にフクシマを語るうえで、災厄としての戦争は外せません。「火」「石斧」「Fe」「原子崩壊」…「ヒロシマ・ナガサキ」そして「原発」「フクシマ」へ。それらをどういう風につなげようかと本心に焦ってます。

著者プロフィール

1946長野県北信濃生まれ。およそ25歳から銀座三原橋の東京温泉の通りでのバーマンを皮切りに、居酒屋人生をひた走る。31歳の時に四谷一丁目に自分のお店をオープン、店名は時代を先駆けること”ばぶるすばぶる”と、あわあわと人のにぎわいをよすがにあれれやこれやと馬齢を、雑駁(ざっぱく)くな人生を重ねた。若い頃はそれは「常に酔わんことを」と無頼を装った日々もあったが、それはさう、新宿騒動の頃より我が一貫した住まいは新宿にあったからこそか。ありがたいと云ふべきか、感性だけは磨いてきたつもりだ。青春の蹉跌(さてつ)は我が身に後を曳いて、屈曲は共感力となった。行くならば「北帰行」、昔からどう云ふわけか東北に親和し、そんな矢先に悲しい東日本大震災が起こった。感受性をフル回転させて、詩編、哀喪「3.11」災後物語りに取り掛かった。